加賀前田家百万石のシンボル。日本100名城「金沢城」

兼六園から石川橋を渡って金沢城石川門を目の前にします。金沢城の搦手門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と二層二階建ての石川櫓で構成された枡形門で金沢城三御門のひとつです。

鉛瓦の屋根が白く輝く、天明8年(1788)に再建された旧金沢城の遺構です。枡形内の石垣が右と左で技法が異なり、右側が「切石積み」、左側が「粗加工石積み」です。

正面には平成13年7月に復元された二棟の三層三階の物見櫓「菱櫓」と「橋爪門続櫓を二層二階の倉庫「五十間長屋」でつないだ建築物があり、橋爪橋を渡った先に二の丸への正門として最も格式の高い門「橋爪門」があります。高麗門の一の門、石垣と二重塀で囲まれた枡形、櫓門の二の門からなり金沢城三御門のひとつで、城内最大の枡形門です。

山頂に悠然と構える越前平定の要となった現存最古の天守。越前坂井「丸岡城」

穏やかな坂井の町を見下ろし、山頂に悠然と構える武骨な「丸岡城」。越前平定の要であった現存最古の天守は、かつて繰り返された戦の面影を今に伝える。織田信長家臣柴田勝家の甥の勝豊によって「まるこの丘」と呼ばれる山に築城されたのが丸岡城。標高17mの小高い山頂に建ち、「霞ヶ城」とも呼ばれる。一層に大きな入母屋風を有する平山城で、石段の登り口からそのまま天守に入るという構造もこの城特有のもの。高さ12,6m、2層3階の望楼型天守は、手斧の跡が各所に見られ、武骨な印象を抱かせる板張りの建物である。

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太平の世には程遠い時代の天守であったため、鉄砲狭間や石落としといった戦への備えが各所に施され、約60°の急角度で造られた階段は訪問客を圧倒する。ロープを伝って慎重に上り下りしなければならない。天守の足場を支える石垣は最も古い工法とされる野面積み。

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また屋根瓦は全国の天守の中でもここだけの石瓦葺き。足羽山の笏谷石による瓦屋根は、この城の価値を高める希有な要素です。 最上階には回廊があり、西は遠く東尋坊のある三国まで、南は福井市内が見渡せます。

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初代丸岡藩主本多成重(幼名仙千代)の父、徳川家康譜代の家臣で戦では傷を負っても鬼気迫る戦いぶりを見せ、「鬼作左」の異名をとった本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という手紙はつとに有名です。

清水湧く北陸の小京都・越前大野の天空の城。「越前大野城」

雲海に浮かぶ日本三大天空の城として一躍有名になった「越前大野城」は、織田信長の家臣・金森長近により天正4年(1576)頃から約4年をかけて築いた城です。(後は竹田城と備中松山城) 。「北陸の小京都」と呼ばれる越前大野は、碁盤目状の美しい城下町でいたるところに湧水のせせらぎが聞こえる名水の町でもあります。

小高い亀山の山頂を削って平らにし、本丸とし天守を構え、麓に二の丸、三の丸があり、内堀、外堀を巡らし城を守っています。天守閣は昭和43年(1968)に再建されたものですが石垣は当時のままで、自然石を積み上げた野面積みという工法で造られていて大変堅固にできており、貴重な史跡となっている。

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お城への登り口は3ヵ所あり、急で長い階段が続く西登り口からだと徒歩約10分ですが、景観もよく一番登りやすい南登り口からだと徒歩約20分、整備されたスロープが緩やかなカーブを描くように続きます。緑の木々に包まれた心地良い道で、石段を上って城門を潜ると、ぐっと本丸らしい雰囲気になります。途中には初代藩主「金森長近」像や幕末の大野藩主「土井利忠」像が立っていて、遠くに白山を眺めながらの登城は、昔にタイムスリップしたような感覚にさせてくれます。写真の右端の石垣の窪みは「武者登り」といい、石垣と一体になったような、高さのある石段が設けられています。

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