武田の再起をかけ、夢がついえた甲州流築城術の集大成。甲州韮崎「新府城」

天正9年(1581)武田勝頼によって、塩川と釜無川に挟まれ、二つの川の浸食によって削り出された七里岩という台地上の南端、標高524mに築かれたのが韮崎の「新府城」です。武田家の館「躑躅ヶ崎館」と詰めの城「要害山城」では防ぎきれないと甲府の西に位置し、交通の要衡である韮崎に未完成にもかかわらず移転されたのです。しかしながら翌年3月3日織田信長に攻められわずか68日で勝頼自ら火を放ったとされる悲運の城「新府城跡」なのです。2017年「続・日本100名城」に選定されました。

長く傾斜のきつい249段の石段を上ると、本丸付近にある新府藤武神社の周りには見事なソメイヨシノの桜が30本近く城跡を彩り、満開の桜が広がります。

うまく時期が合うと桜と新府桃源郷と呼び声高き桃の花の両方が楽しめます。因みに新府藤武神社は藤井地区と武田地区を見下ろす高台にあるのでこのように呼ばれるようになったとのことです。