築城の名手・藤堂高虎のもと天下普請で築かれた丹波「篠山城」

慶長13年(1608)徳川家康は豊臣氏の居城である大阪城と山陰、山陽路の連絡を断ち、西国大名に対する抑えとするため、常陸国の笠間城から実子松平康重を八上城に移し、ただちに新城の築城を命じて建てられたのが今もなお町のシンボルである続ける「丹波篠山城」です。

慶長14年(1609)、西国15カ国・20の諸大名に助役を命じ、一日約8万人を動員してわずか6ヶ月で「笹山」という丘陵に城を完成させ、それを中心に拡がった城下町が篠山である。古来京都への交通の要として栄えてきた歴史があり、町並みや祭りなどに京文化の影響を色濃く残しており、そんな城下町篠山の街並みは「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれています。

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日本百名城の「篠山城跡」は、別名桐ヶ城と呼ぶこの城は築城家の第一人者、藤堂高虎の縄張りで行われた平山城で方形約400Mの小規模なものであるものの、二の丸には大小書院や御殿、築山を持つ庭園を配し、要所には2重の枡形や2重、3重の櫓を配した荘厳かつ堅固なもので、回字型の構造から輪郭式縄張という城郭遺構はほぼ昔のままの姿をとどまている。

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北東の三の丸入口にあたる東門から内堀、内堀に面した二重の枡形を抜けるとすぐに篠山城のハイライトである、2000年に復元された京都二条城の御殿に匹敵する大書院に至る。

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南面中央の少し低い位置にある埋門で、字のごとく石垣に埋まるように造られていて、扉は小さな木戸になっている。非常時には土や石で埋めて遮断することができる特殊な造りになっている。

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またこの門を出た南角には普請総奉行の池田三左衛門輝政の三左衛門の刻印が刻まれた石垣も発見できるのである。

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『風林火山』信濃攻略諏訪攻めの舞台!信州諏訪「高島城」

高島城は諏訪湖のほとりにある城。諏訪領主の諏訪頼忠が武蔵国へ移ったあと、豊臣秀吉軍の武将・日根野織部正高吉が天正18年(1590)転封、慶長3年(1598)に築城、当時は諏訪湖の島を利用して築城された連郭式の水城で、諏訪湖と数条の河川が周囲をめぐり濠の役割をつとめ、湖面に城際が接し、湖上に浮いていたように見えたため「諏訪の浮城」とも呼ばれた。

江戸時代、中山道、甲州街道の重要な拠点として慶長6年(1601)から初代藩主諏訪頼水から10代忠札に至る270年間、諏訪氏が諏訪一帯を支配し居城としていた。昭和45(1970)年に3層天守閣が復元され資料館的な機能を持たされている。天守閣が延べ381平方メートルと比較的小さいことから同じ長野県内のお城と比べると知名度は低いものの天守閣からは諏訪平が一望できる。