十万石大名として真田の家名を残す小さな城下町信州「松代城」

永禄三年(1560)甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信に備えて謀将山本勘助に命じて縄張りさせた平城で当時は「海津城」と呼ばれていました。 千曲川のほとりという自然の地形を巧みに取り入れ、天下の名城と言われており、元和8年(1622)以降、江戸時代には代々真田十万石松代領主の居城となり松代城と改称。明治4年のは廃藩により取り壊されていたが、昭和56年に国の史跡に指定され、平成16年に土塁・堀などの整備・復元されたのです。

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太鼓門は本丸南側の大手(正面)に位置する門で本丸に存在した3ヵ所の櫓門の中で最大規模の門です。太鼓門の前には内堀にかかる太鼓門前橋があります。高さは11.8mのこの太鼓門(櫓門)と「橋詰門」と呼ばれる高麗門でいわゆる枡形門を構成しています。桜の名所でもあり、4月中旬ごろ見頃を向かえます。

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内堀より中は総石垣で囲われ千曲川の氾濫に備えられていたと考えまれます。本丸北側の搦手に位置する門が北不明門です。18世紀前半までは千曲川の河川敷に位置していたことから「水ノ手御門」とも呼ばれていました。

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円山川から立ち上がる霧に覆われ幻想的に浮かび上がる播州朝来「竹田城」

兵庫県朝来市にある国指定史跡の日本百名城の一つである山城が「竹田城」。別名、虎がふせたようなシルエットから、「虎臥城」と呼ばれ、最近は秋から冬にかけてよく晴れた早朝にのみ見ることができる、眼下の円山川から発生する霧の包まれ、まるで雲海に浮かぶような姿から「天空の城」「日本のマチュピチュ」と称され、つとに知られるようになった山城です。

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但馬国の要衡に位置する標高358.7Mの古城山の山頂に築かれた竹田城跡は、嘉吉3年(1443)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、以後太田垣氏が7代にわたって城主となったが、秀吉の但馬征伐で天正8年(1580)に落城し、その後、最後の城主・赤松広秀により南北400M、東西100Mに及ぶ豪壮な石積みの城郭が整備されたと言われる。1600年関ヶ原の合戦後自刃した後も城は取り壊されることもなく、朽ちるにまかせたおかげで、石垣は今も戦国時代のままであり、安土城や姫路城の石垣を作った近江穴太衆たちの手による、自然石を巧みに配置した穴太積みの石垣は、400年を経た今でも日本屈指の石垣遺構として当時の威容を誇っています。

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城跡に入ると、野面積みというその石積みの無骨さに圧巻される。最高所の天守台(落下事故の為侵入禁止)をほぼ中心に置く石垣城郭となり、本丸以下南方には、南二の丸、南千畳が、北方には、二の丸、三の丸、北千畳を築き、天守台の北西部には、花屋敷と称する曲輪がある。天守台の石垣に階段はなく、本丸の建物内部から通じていたようです。

4月には満開のソメイヨシノが華やかさを添え、往時の威容が偲ばれる一層幻想的な景色に出会えます。

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但馬吉野と言われる「立雲峡」は、竹田城から円山川を挟んで東側に海抜756Mの朝来山中腹にあり、正面に竹田城の巨大な石垣が一望できる絶好のビューポイントで、観光パンフレットに載っている雲海の写真は、たいていここからの撮影である。