山頂に悠然と構える越前平定の要となった現存最古の天守。越前坂井「丸岡城」

穏やかな坂井の町を見下ろし、山頂に悠然と構える武骨な「丸岡城」。越前平定の要であった現存最古の天守は、かつて繰り返された戦の面影を今に伝える。織田信長家臣柴田勝家の甥の勝豊によって「まるこの丘」と呼ばれる山に築城されたのが丸岡城。標高17mの小高い山頂に建ち、「霞ヶ城」とも呼ばれる。一層に大きな入母屋風を有する平山城で、石段の登り口からそのまま天守に入るという構造もこの城特有のもの。高さ12,6m、2層3階の望楼型天守は、手斧の跡が各所に見られ、武骨な印象を抱かせる板張りの建物である。

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太平の世には程遠い時代の天守であったため、鉄砲狭間や石落としといった戦への備えが各所に施され、約60°の急角度で造られた階段は訪問客を圧倒する。ロープを伝って慎重に上り下りしなければならない。天守の足場を支える石垣は最も古い工法とされる野面積み。

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また屋根瓦は全国の天守の中でもここだけの石瓦葺き。足羽山の笏谷石による瓦屋根は、この城の価値を高める希有な要素です。 最上階には回廊があり、西は遠く東尋坊のある三国まで、南は福井市内が見渡せます。

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初代丸岡藩主本多成重(幼名仙千代)の父、徳川家康譜代の家臣で戦では傷を負っても鬼気迫る戦いぶりを見せ、「鬼作左」の異名をとった本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という手紙はつとに有名です。

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