諏訪湖のほとり桜吹雪を浴びる天守閣!信州諏訪「高島城」

甲州道上諏訪宿は江戸時代には高島藩諏訪氏の城下町として、また諏訪大社上社の門前町・温泉町としてにぎわいをみせましたが、しの中心にあるのが諏訪湖のほとりにある高島城です。

諏訪領主の諏訪頼忠が武蔵国へ移ったあと、豊臣秀吉軍の武将で安土城や大阪城の築城に参画した日根野織部正高吉が天正18年(1590)転封、文禄元年(1592)から7年を費やし、関ヶ原の戦いの2年前、慶長3年(1598)に諏訪湖東岸の湿地帯に築城した平城。当時は諏訪湖の島を利用して築城された連郭式の水城で、諏訪湖と数条の河川が周囲をめぐり天然の濠の役割をつとめ、湖面に城際が接し諏訪湖の波が城壁に迫る様子から、湖上に浮いていたように見えたため「諏訪の浮城」とも呼ばれていました。

諏訪湖の水鏡に映し出されていたその雄姿は、咲き誇るソメイヨシノの海に囲まれ、まるで天守閣が桜色の雲海に浮かんでいるようにも見えていたことだろう。

江戸時代、中山道、甲州街道の重要な拠点として慶長6年(1601)から初代藩主諏訪頼水から10代忠札に至る270年間、諏訪氏が諏訪一帯を支配し居城としていた。往時の栄華を垣間見せる手入れされた日本庭園に咲くソメイヨシノやシダレザクラ、ヤエザクラなどの桜木や石垣を彩るシダレザクラ、お堀を覆うように咲くソメイヨシノなど約90本の桜が美しい。広々とした城内には池や芝生もあり、休日には桜を愛する人々でひときわ賑わいを見せています。

天守閣は明治8年(1875)に撤去され本丸跡は高島公園となりましたが、昭和45(1970)年に築城当初の3層も天守閣が復元され資料館的な機能を持たされています。天守閣が延べ381平方メートルと比較的小さいことから同じ長野県内のお城と比べると知名度は低いものの天守閣からは諏訪平が一望できる。

城門や石垣に往時の面影がしのばれます。

2018/4/12撮影